日本初のポリエチレン製手袋
         それは職人さん達の熱い声からはじまった。 (創世記)
◆当時の新素材『ポリエチレン』で袋の製造
昭和三十年初頭に入ってすぐ、日本にも『ポリエチレン』という新しい素材が入ってきました。
それにいち早く目をつけたのは、お菓子を作っている人達でした。

その頃の日本産のお菓子(あられ、おかき、こんぺい糖など)は一斗缶に入れられてメーカーに、そして店頭で紙袋に入れられて小売されていました。 紙に入れられた商品は高温多湿の国ですぐに湿気てしまいます。

このポリエチレンの袋に最初から少しづづいれて封をして販売したらどうか・・・。
早速、小袋となって登場したポリエチレン製の袋は大当たり。
さらにお店の名前を袋に印刷したらどうかと思いつき、差別化として「袋への印刷」も始まりました。

新しい素材「ポリエチレン」は食品だけではなく梱包資材として大きく伸びるに違いない!
そう考えた創業者は戦後の混乱期を乗り切った日本人のバイタリティーを目にしながら『新しい仕事』として、ポリエチレン製の袋の生産に進出することを決意しました。

しかし当時は現在のような生産用の機械があるはずもありません。
今では考えられないような話ですが、お客様からサイズを聞いて1つ1つ金型を手作りし、材料シートに1枚ずつ手で判を押すようにして袋を作ってゆくのです。
当社に現存する「東京タワー」や「月光仮面」の形をした袋などはその時代に作られたものです。
このようにして精宏の丈夫で安心して使える清潔な袋作りがスタートしました。








◆袋の生産から手袋へ・・・運命的な出会い
さて生産された袋は、店名を印刷するために印刷屋に持ち込まれますが、そこに新たな課題がありました。
「なぁ精宏さん、インクで手が染まって どうもならんのや、袋をかぶせても 仕事がやりにくいし、ポリ袋で手袋がでけへんのやろか?」 行く先々でそんな声が聞こえてきます。
もともと人情家の創業者は、困っている人達の声を聞き流しにはできませんでした。 早速 夜なべをしながらの金型の開発が始まりました。
あぁでもない、こうでもない、大きさ、形、試行錯誤の連続だったようです。

今までの変形製袋となんとも勝手が違うのは、手袋が長い曲線シール(溶着)だということ。
変形製袋のパイオニアを自負してきた創業者も、あまりにも長いシール曲線、おまけに右へ左へ鋭角な曲線の連続には想像以上の苦労をしました。( 当社Mサイズのシール長は117cm、最も鋭角な曲がりは約3.5R )

そして更なる問題は、袋の中に入るものが動くものであること。
製品を入れるだけなら内容物は動きませんからサイズ通りに収まる容器を作ればいいわけですが、「手」は様々な動きをする厄介な内容物です。
それには可動範囲を想定した「遊び」の余地を作る必要があり、手を広げる、物をつかむ、はなす、一連の動作をストレスなしに実行させるには、どの部分にどの程度の遊びを持たせるのか?
様々な人の手を想定しつつ試作が続きました。
◆日本最初のポリエチレン製手袋が誕生
創業者は後に、この時期のことを「毎日が手との対話だった」と語っていましたが、確かにそうだったのだろうと うなずかずにはおれません。
サクラメンの手袋には、まったく直線部分がない!
一見まっすぐに見える指の線までもが、微妙な曲線で構成されているのです。

試作、そして試用して頂き、その繰り返しからやっと完成した手袋。
昭和34年、日本最初の『ポリエチレン製 手袋』第一号はこうして産声を上げました。
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